人材戦略の教科書:経営戦略を「人と組織の意思決定」に翻訳する
昨今、「人的資本経営」という言葉への関心が高まり、経営トップから人事部門に対して「我が社の中長期的な人材戦略を策定せよ」という要請がなされる場面も増えている。
コーポレートガバナンス・コードの改訂や有価証券報告書における人的資本関連情報の開示制度も、こうした動きを後押ししている。[1][2]
多くの企業が統合報告書などを通じて、人材に関する戦略や投資方針を対外的に説明するようになった。
しかし、その実態はどうだろうか。多くの企業が作成した「人材戦略」と銘打たれた資料を紐解くと、そこには
「DX人材の採用強化」
「次世代経営リーダーの育成」
「リスキリングの推進」
「DE&I(多様性)の向上」
「エンゲージメント改善」
「ジョブ型人事制度の導入」
といった、昨今のHRトレンドを網羅した人事施策の一覧表が並んでいる。
これらは間違いなく現代の企業にとって重要なテーマである。
だが、経営戦略の視点から厳密に見れば、これらは決して「戦略」とは呼べない。
なぜならそこには、「我が社はどの事業・どの機能に人的資源を集中させ、逆に何を縮小・撤退するのか」という、『資源配分の意思決定』が欠落しているからだ。
欧米に目を向ければ、1980年代前半から「Strategic Human Resource Management(戦略的ヒューマンリソースマネジメント=SHRM)」が一つの学術領域として形成・発展し始め、その後、数多くの研究が蓄積されてきた。[3][4][5]
一方の日本では、「戦略人事」「人的資本経営」「タレントマネジメント」「人材ポートフォリオ」など、近接する複数の概念が実務上併用されている。
そのため、「人材戦略とは何を意思決定するものなのか」という基本構造が見えにくくなることがある。
本連載(全5回)では、経営戦略を「人と組織に関する選択と資源配分」へと翻訳する体系を、【人材戦略の教科書】として解き明かしていく。
ただし、人材戦略を単なる「資源配分(Allocation)」の理論として終わらせないことが肝要だ。
人は資金や設備とは異なり、自ら意思を持ち、感情を抱き、キャリアを選ぶ主体である。
したがって、人材戦略とは「人材の配分戦略」であると同時に、人が納得して能力を発揮し続けるための「環境と関係性の設計戦略」でなければならない。
現場で実際に何が起き、経営と人事がどう意思決定すべきかをリアルに浮き彫りにするため、本連載ではとある架空の製造業を舞台にした連続ストーリー(ノベル)を交えながら議論を進めていく。
まずは、ある企業の中期経営計画策定会議の生々しい場面から始めよう。

